浦和地方裁判所 昭和40年(ワ)141号 判決 1966年6月28日
原告 藤崎正
右訴訟代理人弁護士 設楽清胤
被告 近藤壌太郎
右訴訟代理人弁護士 戸田誠意
主文
原告の請求を棄却する。
事実
≪省略≫
理由
第一、本案前の抗弁に対する判断
被告は、原告の本訴は将来の給付を求める訴であり、訴の利益を欠き許さるべきではないと主張するので先ず、この点について判断する。
将来の給付を求める訴は、債務者の言動その他の事情から将来、給付をなすべき時期に達しても、債務者において給付をしないおそれがあり、もし、その給付をしないために訴訟上の救済を求めるよりほかに、その権利の実現を期待することができず、その履行期の到来をまって始めて給付を求める訴を起していては、徒らにその権利の実行が遷延し、ひいて私権の保護に欠けることになる場合に、予めその請求をなす必要があるものとして、訴の提起が許されるのである。
これを本件についてみるに、原告は、本件土地の賃貸借の存続期間が昭和四〇年九月三〇日をもって満了し同日の経過により本件借地権が消滅するものと考え、昭和四〇年一月一四日、同月一七日到達の書面をもって被告に対し右消滅したときは自ら本件土地を使用する必要(正当事由)により被告よりの契約更新の請求に対し異議を述べ、右九月三〇日限り本件建物を収去し本件土地を明渡されたい旨を要求した(この点、正当事由があったとの点を除き当事者間に争がない)のであるが、被告においては、借地権消滅の時期に達しても、原告の要求に応ずる意思がなく、右要求を黙殺して何等の回答もしなかったことが被告本人尋問の結果により認められる。被告においてこのような態度に出る以上、現時の宅地建物に関する社会状勢をも併せ考えると、被告は、将来、右借地権消滅の時期が到来しても、原告の右請求には応じないおそれがあったとみることができる。そして、その時期に至っても、被告がその要求に応じないときは、原告としては、訴訟上の救済に求めるよりほかなく、右時期の到来をまって建物収去、土地明渡等の請求訴訟を提起していては、その判決があるまでには相当の時間がかかる現下の実情では、徒らに権利の実行が遷延するだけで私権の保護には必ずしも十分でないことも明らかである。なお、右異議について正当事由があったか否かは、本件借地権消滅時(昭和四一年九月三〇日)をもって決せられるべきことは、被告主張のとおりであるが、原告主張の正当事由となるべき原告側の事情は、本案において主張するとおりであって、その事情は右時点においても変化がないと主張し、その主張の内容に照らし、一応そのとおりであろうと思われ、他方被告側の事情もその主張によれば格段に異動があるともみられない。要するに、当事者双方の正当事由の判断の基礎となる現在の基本的事情は、右時点まで持続されている状況にあると考えられるので、この事情が未確定で浮動的でない以上、右時点での正当事由の有無の判定は容易であり、原告の本訴請求権の存否も確定的になしうる。そうすると、原告の本件訴については、予め請求する必要があったと認めるに十分であって、権利保護の要件を欠くとはいえない。なお、原告は、本件賃貸借の存続期間の満了日を昭和四〇年九月三〇日と考えていて、同年四月一六日に本件訴を提起しているが、その後被告の証拠提出によって、右は昭和四一年九月三〇日の誤であることが判明し、右期日を後者のそれに訂正変更している(記録上明白)が、この時点(昭和四一年九月三〇日)を標準にしても、本訴は僅か一年五ヶ月余以前に訴を提起したというだけであって、このために本訴は予め請求する必要を欠くということができないことはいうまでもない。よって、被告の本案前の抗弁は理由がない。
第二、本案に対する判断
一、被告は、訴外金子明日吉よりその所有にかかる本件土地を本件建物所有の目的で昭和一一年一〇月一日期間の定めなく賃借し、その存続期間が同日より三〇年間となったことは、当事者間に争ないが、原告が昭和三九年一二月二六日同訴外人より本件土地を買受けその所有権を取得し、賃貸人たる地位を承継したとの点につき、右売買行為を否認し、該行為があったとしても、それは原告と同訴外人とが被告の本件建物の収去を求むる一策として、相通謀してなした虚偽の意思表示であって、無効であるから、原告が本件土地の所有者として賃貸人の地位を承継することはなく、したがって本訴請求は理由がないと抗争するので、先ず、この点について考察する。
≪証拠省略≫によると、本件土地の所有者である訴外金子明日吉と原告との間において、本件土地につき昭和三九年一二月一六日売買契約がなされ、同月二四日原告に所有権移転登記がなされていることが認められるが、右売買に関し以下のような事実が認められる。
すなわち≪証拠省略≫によれば、(一)訴外金子明日吉は与野市に約二、五〇〇坪(約八、二六四平方メートル)、本件土地のある浦和市常盤町周辺に約一、五〇〇坪(約四、九五八平方メートル)の宅地を有し(原告訴訟代理人の自認するところでは計五、六千坪)、これを約三〇坪(約九九平方メートル)ないし約四〇〇坪(約一、三二二平方メートル)、大体約一〇〇坪(約三三〇平方メートル)内外に分割し四、五十人以上の者に賃貸している大地主であること。≪証拠省略≫を綜合すれば、(二)同訴外人は原告への本件土地の売却と殆んど相前後して、本件のほかに、いずれも建物所有の目的で賃貸している土地で、訴外岡部喜代子に対する土地を訴外設楽清胤に、訴外山森敏政と同中島泉に対する土地をともに訴外宮田正信に売却しており、その買受人はいずれも、借地契約の更新請求に異議を述べるから建物を収去し土地を明渡されたい、として現に当庁に建物収去、土地明渡の訴訟を提起し抗争中であること、つまり、本件を含め、殆んど同時頃に四件の土地が売却されていること、(三)右三件の売却は、原告が訴外人金子より一切をまかされて行っており、しかも、その買受人設楽清胤は本件訴訟の訴訟代理人であり、その買受人宮田正信も原告が勤務している水野株式会社の専務取締役であって、いずれも原告との意思の疎通にことかかない者であること、また、(四)原告と訴外人金子とは極めて親密で、原告は同訴外人の土地に関する諸問題の相談に与るばかりでなく、土地の保存・管理・処分等についても、殆んど全部を委かされ、地代の取立、値上、明渡、税金対策は勿論、その売却についても、売却先の周旋、選定、売却代金の授受、登記手続の履践等にもあたっていたこと。≪証拠省略≫によれば、(五)本件土地を原告に売却するに至ったのは、訴外人金子明日吉が昭和三七年七月、脳溢血で倒れ、一時は一人で外出できるまでになっていたが昭和三八年七月頃再び倒れたので、その治療費、生活費や他に家を建築したためにできた借金の返済等にあてる必要があったからというが、昭和三七年七月頃から所有土地を逐次売却処分していたというのであり、本件当時、本件土地を含め四件の土地を相前後して売却して莫大な金員を入手せねばならない事情が看取されないこと。(六)本件土地の売買代金については、甲第二号証によれば二〇〇万円であり、証人金子栄三郎及び原告本人の供述によれば三〇〇万円(一坪当り一万五千円)であり、原告の妻の母で原告と同居している証人宮田春江の証言によれば、原告より坪当り三万円位(全部で六〇〇万円位)で買いたいと相談をされ、それ位なら仕方がないであろうと答えたといっていること。(七)右坪当り一万五千円という価格は、原告の自認するように本件土地が借地権の附着していない、いわゆる更地価格であれば五万円が相当であるというのであるから、更地価格を前提にする価格とすれば三分の一以下の廉価であり、もし更地価格を前提としない価格とすれば、或いは相当な価格であるかも知れないが、反面、当然に借地権がなお存続すべきことを承知の上で買い受けた価格であること。(八)原告本人は、右三〇〇万円は、妻の実家宮田春江方に七年間同居していた間に貯えたうちから約一七〇万円、弟からの借用金三〇万円、日本橋の荒川信用金庫からの借用金一〇〇万円を合せて捻出した金である旨供述し、被告本人は、原告の右供述後調査したところ右信用金庫より借用した事実がないと供述していること、しかし(九)その真偽はともかく、原告本人の右供述によれば、本件建物を収去してもその跡に家屋を建築しうる自己資金はないこと換言すれば、少くとも自己資金をもって本件土地上に家屋を建築しうる資力がないのに本件土地を買い受けていること、≪証拠省略≫を綜合すれば、(十)訴外岡部喜代子が訴外金子明日吉から借地していた土地が突然に訴外設楽清胤に売却せられ、同設楽清胤より内容証明郵便で建物収去、土地明渡を求められたため、驚いた訴外八角良平が、訴外金子明日吉方に赴き、その息子金子栄三郎に会って、右土地の売却代金およびその授受の有無につき確めた際、訴外金子栄三郎はその代金額およびその授受について、原告に一切を頼んでいてよく知らない旨あいまいに答え、真実の売買を疑わせるような口吻をもらしていたこと等が認められる(以上認定を左右するに足る証拠はない)。
以上のこれら事実を彼是綜合して勘案すると、原告と訴外金子明日吉との本件土地についての前記売買は、被告の賃借している本件土地の賃借権の消滅が間近いのを利用して原告と同訴外金子明日吉とが相通じてなした虚偽の意思表示と認めざるを得ない。≪証拠判断省略≫。さすれば、原告の本件土地についての売買は無効であり、原告が本件賃貸人の地位を承継するに由なく、したがって、右承継を前提とする原告の請求は、この点で、既に理由がないこと明白である。
二、仮りに右原告と訴外金子明日吉との右売買が通謀虚偽表示でなく、有効であり、原告が賃貸人の地位を承継したとしても、以下に説述するように、原告の請求は理由がない。すなわち、原告は、被告に対し昭和四〇年一月一四日、本件借地権の存続期間が満了し賃貸借の終了により借地権が消滅したときは、自ら本件土地を使用する正当事由があるので、被告よりの契約更新の請求に対し異議を述べるから右消滅の日限り本件建物を収去し本件土地を明渡されたい旨の意思表示をし、同月一九日に到達させたほか、更に改めて同年七月一三日の口頭弁論期日において同旨の意思表示をしたことは、当事者間に争がなく、右期間満了が昭和四一年九月三〇日となることも争がないので、右満了時において、果して、右異議につき原告に正当事由が存するか否かについて判断してみることとする。
まず、≪証拠省略≫によれば(一)原告の現在の家族は父市五郎、母トメ、弟寿夫、妹幸子と原告および妻しげ、長男憲一、長女京子の計八人家族(妹栄子は既に嫁す)であって、原告は、事実上の長男の立場にあること。父市五郎は明治三五年五月生れ(当六四年)で昭和三八年一一月頃には、膀胱頸部疾患、左水腎症等により東京医科歯科大学医学部附属病院に入院して手術したことがあり、昭和四〇年八月頃は矯正不能の視力〇、〇四で余り恢復の見込のない視力障害のため労働不能、歩行にも障害が生じ、現在、原告よりの生活費の仕送りを受けつつ山口県大島郡東和町の本籍地で母トメ(明治三八年八月生、当六一年)とともに静養しており、弟寿夫、妹幸子は、いずれも東京都内に居住していて、互に別居していること。(二)原告は現在妻しげの実母である与野市大字大戸の宮田春江方に同居しておるが、同家には同女と原告の妻の弟勝と、原告と原告の妻子四人計六人が同居しており、宮田春江と勝の親子は四畳半に、原告ら親子四人は奥の八畳に住んでいること、(三)宮田勝は二五歳で、昭和四〇年二月(本件異議の通知後)浦和市の女性と挙式の日時は未定であるが、婚約し、結婚後は右家屋に同居する予定になっていること。しかし、他面(四)弟寿夫は昭和一三年二月生れ(当二八年)で月収六万円あり現在羽田の日本航空に勤務しており、妹幸子は、昭和一七年三月生れ(当二四年)で朝日ペンタックスに勤めている者で、各々自己の収入によって自活する能力があり、あえて原告と同居してその庇護を受けなくても、さして支障があるともみえないのみならず、本件土地上に移り住むことによって通勤に却って不便をきたすことがないともいえないこと。また(五)原告が現に同居している宮田春江方には、原告は通路になっていて寝起きができないというものの、工夫次第で使用できる八畳の空き間があるばかりでなく、原告の長男憲一は昭和三五年一〇月生(当六年)、長女京子は昭和三八年九月生(当三年)で原告ら夫婦と同室で寝をともにするに不都合がないこと、また、(六)原告の妻しげの実母宮田春江は二階建で一四部屋もある建物を所有しそれを原告の勤先である水野株式会社の社員寮に提供しているから、同社で総務課長をし取締役の待遇を受けている原告との話し合によっては、原告の父母を転居せしめ得ないことも皆無とはいえないこと等も認めることができる。
次に、≪証拠省略≫によれば(一)被告は昭和一九年に神奈川県知事を最後に退官し、現住所の本件建物に住みつき、爾来格別の職業につくこともなく、現在は弁護士として登録してあるもの全くの名義だけで、年額約三三〇、〇〇〇円の恩給と旧来の知人の好意によって、妻と二人で老後の生活をしている当七一年の老齢者であるが、本件家屋の外には格別預金などの財産はないこと。したがって(二)仮りに、本件建物につき買取請求権を行使してその対価を得ても、他に、従来の経歴、社会的地位に余り恥しくない土地、建物を入手しうる資力がないこと。(三)被告の娘二人は他家に嫁し、長男(当三六歳)は五歳と六歳の二人の子供とともに、現在、浦和市領家の広さ二DKの賃借公団住宅に住んでいるが同人の許では、手狭でとても同居できないこと。(四)被告は、未だかつて賃料を滞るなど賃借人として背信行為は一度もしていないこと。(五)被告は退官後も多くの知名の友人、後輩より、敬慕されていたこと等を認定することができる。以上の認定を左右するに足る証拠はない。そして、原被告の右各事情は、昭和四一年九月末日頃に至るも変更がないと認めるに十分である。
およそ、右にいう正当事由とは、賃貸人および賃借人の双方の利害得失を比較考量し、当事者双方の利害関係その他諸般の事情を斟酌し、社会通念に照らし妥当と認められる理由をいうのであるが、被告が夫婦二人だけで、建坪四〇余坪の本件居宅に住み、二〇〇坪(六六一平方メートル)の本件宅地を占有していることは、現下の住宅事情からいえば、いささか広きに過ぎる感がないでもないが、前記認定のとおり昭和一九年、知事を退官して下野しているとはいえ、本件家屋に二十余年住み馴れ現在なお多くの知名の友人、後輩より敬慕されていて、相当の社会的体面を有する被告の邸宅としては、諒解できないでもなく、昭和四一年九月三〇日現在の時点を念頭に置き以上認定にかかる原被告双方の事情をもとに、慎重に、双方の利害得失を比較考量し、双方の利害関係その他諸般の事情を斟酌し社会通念に照らして勘案するに、原告において本件土地を自ら使用する必要が全く認められないではないが、この一事だけで直ちに原告に妥当性があるとは考えられず右の正当事由があるとは到底認められない。とすれば、この点でも、原告の請求は理由がないといわざるを得ない。
三、以上のとおりであるから、その余の点につき判断をするまでもなく原告の被告に対する本訴請求はすべて理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 赤塔政夫)